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ラジオのこと、CDのこと。

今朝、Radikoで岡田照幸先生のラジオ番組「岡田照幸のタッチはピアニッシモ」を拝聴しました。放送日は土曜日ですが、Radikoでは1週間以内であれば聞くことが可能です。

ラジオの良いところは、自分では聞こうとしない作品や演奏家の演奏が聞けるところだと思います。また、お話の中から新たなことを知ることも出来ます。

今朝も、素敵な弦楽の響きがとても心地良かったです♪もちろん岡田先生の軽やかな語り口も目覚めを良くしてくださいました😊

もともと私はラジオっ子でした。部屋にいる時はクラシックがかかっている時間帯は常にFMをかけていました。(海外のように、クラシック専門のチャンネルがあったらいいのに、といつも思います…)

昔はFM fanという雑誌を買って、エアチェックしたい曲に印をつけて1週間楽しみにしたものです。

カセットテープの時代でしたから、伸びてしまうまで繰り返し繰り返し聞いていたのも懐かしい思い出です。

テープの片面の長さよりも作品が長いと、曲の途中でも容赦なくバツン!と切れてしまい、慌ててテープをひっくり返す、ということをしていました。

そのせいで、今でも幾つかの作品を聞くと、なんとなくソワソワしてくる時があります。それは、テープの非情な終了ごと、その曲が私の中にすり込まれてしまっているためのようです…。

少し前にもシューマンの交響曲を聞いている時に、「ああ、ここでテープ終わっていたなぁ」となつかしく思い出しました😅

ところで、ラジオは本当に良かったなぁと思います。今の時代はすっかりYouTubeが主流だと思いますが、YouTubeには聞きたいものがすぐ聞ける良さがありますが、一方、ラジオはこちらの趣味嗜好とは関係無く向こう側から一方的に流れてきます。で、それが‘途中から’ということもままあります。

おかげで、だいぶいろいろな作曲家や作品、演奏家についても知ることが出来たのだと思います。

ラジオをつけた時に流れている作品を、瞬時に作曲者、作品名を当てる。そして、可能であれば演奏者も推測してみる、ということをいつもしていました。

全く知らない作品だった時には、おおよそどの時代の作品だろうか?などと、予想してみるのも楽しみのひとつでした。

大学に入ってからは、資料としてたくさんのレコードやCDを聴くことができたので、よく1人でお弁当を食べながら資料室で聞いていました。

高校の教員をしている大学の後輩から、教え子さんの受験準備を頼まれたことがあるのですが、その時に、音大や教育の音楽を目指す人たちがあまりにも音楽の通論的なものを知らなすぎることが不思議で、なぜだろう?という話をしたことがありました。

その時、その後輩は、「YouTube世代だからだと思いますよ。YouTubeは、自分の知りたい曲だけ、しかも知りたい部分だけを聞けるから、無駄だと思われるそれ以外の部分や、CDなどにあるようなカップリングされている作品を知る機会がほとんど無いことが原因ではないでしょうか?」と分析していました。
『なるほどな…』と納得させられたのを覚えています。

確かにCDは、ある1曲だけ聞きたくても1枚のCDとして聞くことが多いから、嫌でも他の曲も聞くことになります。それが知らず知らずに勉強になっていたのですね。

グリーグのピアノコンチェルトのCDにはほぼほぼシューマンのピアノコンチェルトがカップリングされていますから、自ずと両者を聞くことになる、というようなことですね。

また、作曲家のくくりや、演奏者のくくり、などで、せめてCD1枚分じっくり聞くと、なんとなくその傾向や味わいが感じられるというメリットもあったのかもしれません。

話をラジオに戻しますが、私はもともとは楽理科に進みたかったので、解説者の方にも注目していました。今のように、Googleですぐに調べられる時代ではなかったので(パソコンすら無かった!)、とても貴重な情報を得るチャンスでもあったのです。

バロック音楽の番組を長きにわたって持たれていた皆川達夫先生に、後に音楽学会でお会いした時には感激でした!

また、評論家の吉田秀和さんのお話も、本当に毎回勉強になっておりました。

そんな中でロシア音楽の解説でいつも登場していらした森田稔先生の独特な語り口に何となく心ひかれ、森田先生がいらっしゃる大学に進学することにしたのでした。

効率の良さが上手く人生を生きることのように思われている昨今ですが、本当にそうなのでしょうか。

一見無駄で遠回りに見えることに、大切なことは潜んでいるのではないだろうか?といつも考えます。

今朝、久しぶりにラジオを聞いたことで考えたことをつらつらと書いてみました。