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譜読み力

上達のために必要なこととは?

①譜読み力

ホームページ上でのサロンコンサートを2回にわたり丁寧に聞いてくださったあるピアノの先生から、「どの生徒さんも誠実に楽譜を読んでおられて感銘を受けました。みなさんの譜読み力はどのようにして育てておられますか?」
とご質問いただきました。

真の意味での譜読み力が上がれば毎回のレッスンでアドバイスする内容はさらにもっと踏み込んだものになり得ますから、とても大切な力だと思います。 

まず、譜読みとは何か?ということですが、一般的には音符のドレミが読めてリズムが分かること、と思われているかもしれません。もちろんそれらも含みますし、これらが身につくのもそれほど簡単ではないと思います。

これらの読み取りは当然のこと、その他に楽譜に書かれている指づかい、強弱や速度、表現、表情記号等すべてをしっかり把握することも含みます。曲名も何より大切な手がかりです。

意外にも、すでにこの辺りがないがしろにされていることが多いのではないかな?と感じています。

お料理に例えるならどうでしょう?
材料と切り方を知っただけでは‘美味しい’と食べられる、あるいは食べてもらえるお料理にはなかなかなり得ないと思います。
下ごしらえはどうするのか?
煮るの?焼くの?炒めるの?
味付けは?塩をふるだけなのか、濃厚なソースを準備する必要があるのか、などなど。
さらには盛り付けも大切ですね。もしかしたらそれをいただく環境も整っているにこしたことはないでしょう。

結局、楽譜に書いてあること全てをひとつ残らず読み取らないと、作曲家が思い描いたはずの‘美味しいお料理’は完成し得ない、ということになります。

音の間違いやリズムの間違いを直しているだけで毎回のレッスン時間が終わってしまい、なかなか内容に踏み込めない、という嘆きは昔からよく耳にします。

多分、昔(選ばれた人、限られた人しかピアノを弾くことが出来なかった時代)の名残りなのかなと思うのですが、ピアノのレッスン界では、‘比較的才能に恵まれた将来音楽家になることを期待されるような人’向けの進み方が万人に向けたレッスンのスタンダードになっているように感じることがままあります。

ひらがながスラスラ読めない人に難しい小説や評論を読ませることの無意味さ。不思議で仕方ありません。

それなら、ひらがなをスラスラ読めるようになるまで、むしろその世界を味わい尽くせば良いのだと思います。昔と違って今はそれにふさわしい素敵な作品集やテキストがとてもたくさんありますから✨

ようやく音とリズムが分かる、という段階でブルグミュラーに入ってしまうのは、演奏する側にとっても作品にとっても二重の意味で本当にもったいないことだと思います。(余談ですが、私はこの5月にブルグミュラー25の練習曲全曲をYouTubeにアップしましたが、あらためて取り組んでみて、この曲集のすごさを再認識しました。そのお話はいずれ書きます)

楽譜に書かれてあることすべてを読み取る作業だけでも大変ですが、実のところ本当にやらなければならないことは、‘書かれていないこと’の読み取りなのかもしれません。

曲名が「おばけ」
調性が短調のおどろおどろしい響き
突然あらわれるfとアクセントの記号

という曲があったとしたら、そのfとアクセントの意味は自ずと想像出来ることでしょう。そんな風に、ただ楽譜の指示のまま弾く、ということからさらに進んで‘なぜここでこの記号が記されたのか?作曲家は何を伝えたかったのか?’
同じフレーズなのに、1回目にはなかった指示が2回目で書き加えられているのはなぜなのか?などと、探偵さながら、とことん推理(?)していきます。

ここら辺の作業が私が良く取り上げている『対話力』と言えるかもしれません。こちらの思い込みを捨てて相手を知ること。その結果自分を変化させていくことにつながります。

ソルフェージュのレッスンの際に、簡単なリズム譜に音をあてはめてみる作曲を宿題にすることがあります。

弾いてみたり考えてみた音を楽譜に書き込む、という作業をし、そしてそれを弾いてみると、目で見る情報と頭の中にある情報が一致しない、という現象が割とよく見られます。
「書いていないけれどこうなります」と弾いてくれる子がいます。(気持ちはよくわかる!)
でもさらにしつこくそれを譜面に書いてもらうことをすることで、「こう弾いてほしい時にどう書けばいいですか?」とか、記譜の仕方がよく分からなくて質問を受けることも良くあります。音部記号や調号、拍子、音符の棒の向きなどから始まり、頭の中にある音楽を、自分以外の他者になるべくそのまま伝えるには……、と苦悩することは、ひっくり返してみれば、自分は演奏する時に、そのような作曲家の考えや思いを汲み取る側なのだ、ということが分かってくるのではないかと思うのです。(実際、作曲をすることで演奏の質が上がった生徒さんは多いです。)

譜読みをする、ということは、その曲を丸ごと理解することに他なりません。それには、消化できる量と質の作品を選ぶことがとても大切だと私は考えます。

コンクールなどでは、おそらく先生が咀嚼した内容を丸ごと(理解ではなく)物真似で仕上げてきた‘素晴らしい’演奏に出会うことがあります。そこに真の理解があるのかどうかを見極められさえしたら、同年代の‘見事な物真似演奏’に焦りを覚えることもなくなるはずなのですが…。

演奏の喜び、音楽のおもしろさは、年齢や成熟度合いに見合った作品の中で、思う存分イマジネーションの世界を広げられて初めて‘少しずつ’感じられるようになっていくものなのではないでしょうか。

その世界を味わっていく時に、譜読みの面倒くささを感じない程度の作品を選び、たくさんの曲に出会うことが譜読み力をつけていく一番の近道ではないかと私は思っています。

お子さんたちの純粋な感性で見つめている世界を大切にしながらそこで伸び伸びと音を奏でていけるようにサポートしていけたら、といつも願っております。