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言葉の力②

言葉の力②

レッスンを受ける際に、私とのコミュニケーションが上手くとれているかどうか、は当然のことながらとても大切です。

これは、何も私のご機嫌取りをしてください、と言っているのではなく、私の発する言葉をそのままの状態で受け取れるかどうか、という意味での‘コミュニケーション’です。

時々、「何才になったらレッスンを始められますか?」と質問を受けることがあります。私は「ご家族以外の大人とコミュニケーションが図れるようになったら大丈夫だと思います」とお答えすることが多いです。

他者とコミュニケーションをはかる…

あらためて考えてみると大変なことですね。もし、言葉も文化もよく分からない異国にポンと放り込まれたらどうでしょう?とても大変だろうということは想像に難くないことと思います。

生まれてまだ数年、年長さんだとしてもまだたかだか5、6年しか生きていないのですものね!5、6年前なんて大人から見たら‘ついこの間‘…。

普通に言葉のやり取りが出来る様になっているので、つい大人に対するのと同じようなつもり(ペース)になってしまうかもしれないのですが、少しだけ気を付けておくと良さそうなことがあります。

私はふだんから小さなお子さんだとしても、一人の人間として対等であると思って接しています。ただ、その子のペースは最優先にしています。何のペースかと言うと、考え、理解し、行動に移す、ペースです。

ちょっと外国語でイメージしてみてほしいのですが、何かをワーッと言われた時にそのスピードで理解出来て対応出来るか、と言われると、ちょっと難しくないでしょうか?

でも、こちらが外国人であることを考慮して、ゆっくり話してもらえたり、ひとつずつこちらが理解するのを待ってもらえたなら、安心して丁寧に考えられそうな気もしませんか?

特に小さなお子さんたちの場合は成長の度合いも様々ですし、その日の調子なども大きく作用します。(前回取り上げた睡眠不足など)

それでも、本人のペースで落ち着いて考えられ、ゆっくり時間をかけていいという安心感があれば、子どもたちは必ず理解しようとするものです。

勉強は‘させ’ないと‘する’ようにはならないと思い込んでいる大人が多いですが、それは間違った思い込みだと思います。

基本的に、人間は知りたがる生き物です。
小さい頃、お子さんに、次から次へと一日中「これなあに?なんで?どうして?…」などと質問ぜめにあって辟易としたことのある方は多いことと思います。

ものすごい知識欲があるのですね、人って。

この力を伸ばせるかどうか、が子育ての重要な鍵だと私は思っていますがこのお話はまた今度書きます。

話を戻しますと、どんなに小さいお子さんでも、ちゃんと理解したいし、出来る様になりたいのです。

ただ、その考える時間と本人のやり方を待ってもらえさえすれば、その意欲が失われることは滅多に起こらないはずなのですが…。
大人側に必要なことは、「待つ」ことだけだと思います。

例えば、私が、「〇〇の本を見てみて!」と言った時に、気の利くお母様はサッとその本を出してくださるのです。が、我慢強いお母様は、お子さんが私の言葉を理解し自分で本を持ってくるのをだだじっと待たれます。

ここでもさらにもう一つ大切な点があります。
自分の持ち物を自分で管理出来ているか、という点です。良かれと思ってお家の方が勝手に片付けしまっていると、「どこにあるの?」ということになってしまいます。こういうことが積み重なると、自分は‘お客様’状態にどんどんなっていってしまいます。物事をコントロール出来ない無力感のようなものがわずかずつですがジワジワと広がっていってしまうように見受けられます。これは意外に盲点ではないかと思うのです。「うちの子、やる気がなくて」という場合、ちょっとそこらへんを見直してみると良いかもしれません。

さて、話をまた戻しますと、「〇〇の本」という私の言葉を聞いて、「あ、あの青い本だ!」と取りに行きますね。(当然ながらこれは以前に取り組んだテキストです。)そして、「その中のどこかに書いてあったよね?さがしてみて!」とうながすと、時間がかかりながらも自分のペースで学んできているお子さんは、パラパラめくっていくうちに、「あっ、これかー!」と探しあてることが出来ます。
一方、不思議なことに、本(テキスト)を目の前にして、開こうともせずに「わかんない!」と探そうともしない場合もあります。このケースで考えられるのはおおよそ2つ。

1つ目は前回書きました心身の充実がはかれていない場合。→やる気が起きない。
2つ目は、今書いたこと、つまり、‘お客様状態’になってしまっていること。

これは、お家の方、もしくは周りにいる大人が、良かれと思って手助けをしすぎている場合に多いかもしれません。

私たちが知識を定着させていく時、‘理解すること’が重要なカギになっているのではないでしょうか?もしかすると表面的な事だけを‘暗記’するという人もいるのかもしれませんが、私の場合は必ず理解するという作業を繰り返し頭の中で反復することで毎回同じ過程をたどり、その結論にたどり着く、という順番になります。
薄い絵具を繰り返し繰り返し塗っていくことで次第に色が重なって濃くなっていくような感じです。

時折、ずば抜けた記憶力をお持ちで、一度見たら忘れない、というような方もいらっしゃるようですが、いずれにせよ、それが何のことを表しているのか、どんな時に使えるのか等は、やはり‘意味’が伴わないとそもそも使う場面が分からない、ということにもなりかねませんね。

お子さんたちが、自分の頭の中、あるいはテキストをゆっくりたどり、過去の記憶にアクセスして、「ああ、そうだった!」ということを繰り返す作業を心ゆくまでしても大丈夫、ということを保証されて育つと、何事もしっかりと自分なりのやり方で、ちゃんと理解しながら知識も方法も整理されていくようです。

この力はとても強力です!学校に入ってから勉強が始まってからも必ず活きてきます。
ですので、私としては何としてもこの力をしっかりと育みたいのです。

一方、そのように記憶をたどることよりも、結果や正しい答えばかりを期待されて大きくなると、結論(答え)を早く言わないと…という焦りの方が勝り、大人の顔色をチラッとうかがい、手っ取り早く‘答え’を手に入れることへの知恵が育つようです。
これも一種の世渡り法かもしれませんが、自分の中によりどころが無い感じは何とも心もとないものではないでしょうか…?

私が今まで見てきた経験から感じるのは、このように、自分以外のところによりどころを置いて生きてきた方は、上手くいかないことは何でも人のせいにする傾向が強いように見受けられます…。

自分の積み重ねてきたものを信じられること。
これが、人生を生きていく上での力強さに通じるのだと思います。

私自身は、‘正しい’ということはあまり重要ではないと思っています。それよりは、考え方の筋道が築けたり一貫性を持てること、の方がずっとその人自身の輝きにつながっていくように感じています。

子供たちが失敗や間違いをおかすことを周りの大人が恐れすぎると、その子の頭の中や心の中にある物事が刻まれていくせっかくの機会(チャンス!)を奪ってしまうだけでなく、自分を信じられるという人生を生きていくときに一番大切な部分が育ちにくくなってしまいます。

それには、もしかしたら、大人側も、自分の不完全さを恥ずかしがったり隠そうとせずに、そこから成長していこうとする姿を見せていくことが重要なのかもしれませんね。

オンラインでのレッスンが導入されたことで、今まであまり気付かなかったことに気付くことが出来ました。

一番大切なことは、‘ゆったり生きること’かな、とあらためて思わされた自粛期間でした。