· 

日本のピアノ教育について考えさせられました

第7回仙台国際音楽コンクールピアノ部門のマスタークラスを2日間全て聴講しました。

ラジオ等でその演奏をよく聞くことがあるジャック・ルヴィエ先生がどのようなご指導をされるのか興味があったのと、以前私もマスタークラスでご指導を受けたことがあるオクサナ・ヤブロンスカヤ先生のお顔を久しぶりに拝見したかったのです。

でも結果的にどの先生のレッスンもとても素晴らしく、非常に充実した時間となりました。

4人の先生方全員が、力説されていたことは、とにかく「楽譜に忠実に」ということでした。〈書いてあることはやる。書いていないことはやらない。〉

言うのはやさしくても、これほど優秀な受講生たちのほとんどがその点をたくさん指摘されているところを見ると、むしろその点にこそ鍵があるように感じました。

日頃から、レッスンをする時に私自身とても気をつけていることですし、私のレッスンは結局そればっかりのような気もします。生徒さんが楽譜を正しく読んでいるか、読み込んでいるのか。

音やリズムはもちろんのこと、そこに記されているアーティキュレーションや強弱等の記号の意味することをしっかり考えることは、そのままその作品のあるべき姿を見つけていくことだと考えています。また特に作曲家自身が書き込んだ指づかいなどであれば、自分のやりやすさとは別に一度しっかりと試してみる必要があります。そうすることで、作曲家がそこに何を求めているのか、どんな音色でどのような世界を描きたいのかも見えてきます。

でも、とても不思議です。
皆さんすでにたくさん活躍もされている方たちでしょうし、素晴らしい学校で良い教育を受けている方たちだと思います。なのにどうしてそういう現象が起きているのか…??

ずっと危惧していたことがあります。日本のピアノ教育がどうもおかしな方向に向いてはいないか?と。

ピアノ教育に携わり始めた頃は、試行錯誤の日々でそれどころではありませんでしたが、次第に外の世界を見るようになり、コンクールという場も経験し始めて15年以上経ちます。

ピアノを学びたいとやって来る子供たちに何を伝えられるのか?何を伝えなければならないのか?

コンクールなどの外の場にチャレンジしていく時に目指すのはどんな事なのか?

そして、決して目指す先が間違った方向に行ってはいけない、という事も常に肝に命じて今日に至ります。

音楽とは何なのか?音楽を学ぶとはどういう事なのか?ピアノを学ぶとは?

ステージの中央にドーンと置かれた大きなグランドピアノを眺めながらふと頭をよぎったこと………ほとんどの人が【鍵盤】にしか興味が無いのでは??

だから、いかに正確に速く指が動くか、ばかりに気持ちが奪われて、肝心の音が聞こえなくなっているのだろうか?と。

昔、明らかにそういう超人的な技巧的な演奏がもてはやされた時代がありましたが、国際コンクールなどを見ていてももはやそういう演奏家は評価されなくなっていると感じます。ようやく【人、人間の心】が通った演奏が正当な評価を受けるようになってきたことは喜ばしいことだなと思います。

けれど、日本ではまだそこを目指している人が多いのではないでしょうか…(私の気のせいなら良いのですが…)。

もちろん指が動かないことにはピアノは弾けませんからそのトレーニングも必要です。

けれど、同時に忘れてはいけないこと、いやむしろ指が動くより先に養われていかなければならないものがあるのではないでしょうか?この点が音楽と直結している点なのだと私は思っています。

そちら側がしっかりと年齢相応に成長していくことがまずあって、そうすると、“ここはこんな風に弾きたいなぁ”と要求が出てきます。だから練習するのです。

人が成長していくには、通っていく過程があると思います(いわゆる成長の段階)。そのペースは人それぞれだとは思いますけれども、どの段階も飛ばしてはいけない、と私は考えます。

自分自身についても感じるのですが、成長を急かされたりすると、その時期にしっかり味わい尽くしていないことって、なんだかすっぽり空虚な感じになってしまっているような…そんな感じがいつまでもあるのです。

子供が子供らしくいることは本当に大切なことです。急いで身の丈に合わないことを無理にさせたりするのは百害あって一利なしだと思っています。

でも、ピアノ教育はそればかりが横行していないだろうか、と。

なぜ子供たちから幸せなステキな子供時代を奪ってしまうのだろう、と。

その時にたくさんたくさん経験したいろんなこと、いろんな思いこそが、後々の音楽に素敵な彩を添えていくことになるのに。

日頃口にする食べ物は、無農薬、化学肥料はなるべく使っていないものなどと気をつかっているのに、子供の成長には促成させる化学薬品漬けにすることこそが親や教師の務めだと誤解してはいないだろうか?

植物に例えてみましょう。
しっかりと地に根を張り、養分を吸い上げるのに十分な茎や幹が育ち、葉が青々と茂り、そこで光合成によって栄養を作ることによって蕾をつけ、そしてベストなタイミングで花を咲かせるわけです。

だから、教育とは、その子がある時点でその子らしい花を美しく咲かせるのに必要な準備のお手伝いなのではないでしょうか。

まずはしっかりと根を張ること。そして新芽が出て茎。それから枝や葉。そして花です。

なんで花から咲かせようと躍起になっているのか訳がわかりません。

まだ蕾もつけないうちから立派で誰にも負けない花であることを望み、化学肥料たっぷりの、〔手っ取り早く上手くなる方法〕をあれやこれやと試すことがやるべきことだと勘違いしているとしか思えません。

【待つ】ということ。【信じて楽しみに待つ】という姿勢。周りの大人がこれを分かっていれば大丈夫です。

でも、ピアノ教育に携わっている側の人間が率先して〔根も茎も葉も育っていなくても立派そうに見える花をどうやって咲いたように見せるか〕に労力を割いているように見えて仕方ないのです。

根をしっかり張る作業のひとつに〈楽譜を正確に読む〉があると思います。

無農薬で作物を育てている方たちはやはり苦労が多いと聞きます。
それでも、誇りをもってそういう子たちを丁寧に育てていきたいと気持ちを新たにした2日間でした。