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自分で責任を持つということ

先週のレッスンで、ある小学校低学年の生徒さんにお話したことを書いてみようと思います。

その子は、すてきな感性が見え隠れするのですが様々な力がなかなか定着していかないことがずっと疑問でした。

それで、お家でどのように練習しているのか本人に聞いてみました。

そこで見えてきたことは、ほぼ全ての判断を、結果的に本人がしていない、ということでした。

特に小さいお子さんの場合、ご家族の協力は不可欠です。練習の時間も楽しい時間になるには、どなたかがその様子をあたたかく見守ってくださることが理想的です。

ですが、いつのまにか〈今の演奏は良かったのか?クリアしたい課題は出来たのか?〉とか〈自分の納得のいく演奏だったのか〉の判断すら自分ではせずに、お母様の言う通り、という現象が起きていたようです。
〈あと◯◯回弾いたら今日の練習は終わりね〉など。

日常的にこうなっていくと何が起こるかというと、自分の今の演奏の良し悪しを自分で判断しなくなってしまうことがあるのです。というより、出来なくなります。分からなくなる、と言った方が正しいかもしれません。
また、ひとつのものごとを突き詰める、というとても大切な取り組みの姿勢も奪ってしまうことになりかねません。

子供といえどもひとりの人間です。意思もしっかりもっています。小さいうちからそこを大切に尊重しながら接していけると、結果的に大人も楽しめるし楽だと思います。

試しに私の前で弾いてもらい、今の演奏がどうだったのかを言ってもらったところ、とても的確に感想を述べてくれました。そして、理想も高く掲げているのが分かります。実はここがとても大切なのですが、理想が掲げられない子はなんでもOKだと思ってしまい、なかなか上達しにくいのです。

私はレッスンの際、必ず「今の演奏はどうだったか」聞きます。それを聞くことで耳の成長が分かるからです。
家での練習に必要なのは、自分の中に先生となる理想像を描けるかどうか、です。理想と現実の差を縮めていこうとするのが練習です。

ですから、その〈耳〉を他者に預けてしまっては成長がなんだか変な具合になってしまうのです。

その〈耳〉役が非常に的確だった場合は、年齢以上に順調な進みになることが多いです。コンクールなどで小さい頃に優秀な成績をおさめるお子さんなどに多いケースです。
しかし、これもまた怖いのです‼︎
つまり、家にも先生がいるような状態ですから、練習に無駄は無いし確実に”弾ける”ようにはなるのですが、そこに本人の耳が育っていない場合、ずーっと耳役が必要になります。子供はただの再生ロボットと化します。

皆さんもコンクール会場などで見かけたことがあるのではないでしょうか?死んだような目をしたピアノは上手い子供を。

このケースは本当にかわいそうです。親の欲ばかりが膨らんでいき、子供の心は置いてけぼり…。

これだけは避けたいと思っています。なので、私が[コンクールなどで力を発揮出来るようになるのは遅くていい]と考えるのはこういった理由からです。 

でも、著名な先生の中にも、「言うことを聞かせられるのは小さいうちだから、少なくとも4年生位までであれば確実に良い成績を取らせることが出来ます!」と断言される方もいらっしゃいます。
ゾッとしました。その子の将来はどうなるの?と思いました。

力強く幸せに生き抜く力を、ピアノを通してつけて欲しい、というのが私の願いです。
それは、趣味のピアノであれ、専門だとしても、です。

話が逸れましたが、それで、その生徒さんに、「今の演奏が思ったように出来たのかどうかを自分で考えてみて。そして、どこをもっとどうしたいかを思い浮かべて、そこを次は出来るように弾く、というようにやってみてごらん」と話しました。自分で「出来た」と思ったらそこで練習は終わり。お母さんに「もっと弾いたら?」と言われても気にしない。お母さんが「もういいんじゃない?」と言っても、自分が良いと思わない時には良いと思うまで弾いてみて!と。

すると、今週のレッスンは見違えるようでした。もちろんまだ消化しきれない課題はあるものの、まず音が全然違いました。きちんと考えられた音です。そして、ちゃんと自分の頭でいろいろなことに注意を向けて弾いているのが分かります。

こうなると話ははやいです。確実に力がついていくはずです。子供って本当にすごいんです‼︎一人一人の持つ力をおもしろがりながら伸ばしていってほしい、の願うばかりです。

ああ、気付いて良かった、と心から思った出来事でした。😌