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最後のレッスン

東日本大震災の翌月、まだまだ様々混乱している中、レッスンに来始めた生徒さんが昨日で8年間のレッスンを終えました。

「よく辞めずに続きました」とおっしゃるお母様に、「辞めるとか考えたことない。普通に生活の一部だっただけだから」とのこと。

高校入試でも大学入試でも、学校の試験中でも全く休まずに淡々と通い続けていました。楽譜ではなく教科書を持ってくることもあったけれど(高校入試を控えた中学生時代には、ピアノではなく勉強を持ってきてもいいよ、と言ってあったので)、彼はその時に一番聞きたいことをまず聞いてきました。
時には話に夢中でピアノは全く弾かないこともありました。
勉強のこと、部活のこと、友人のこと、恋愛のこと、周りの大人のことなどなど、実に様々な悩みを聞いてきたように思います。

物事にどう向き合っていくのか、人とうまくいかない時はどうしたら良いのか、自分の健康をどのように維持し、どうやってモチベーションを上げていくのか、などその時々でテーマは様々だったけれど、私に相当厳しいことを言われてもなぜか嬉しそうな姿が印象的でした。

そんな一つ一つが確実に彼の中には蓄積していたようで、物事の捉え方や考え方がしっかりしてきて、ここ半年くらいは、『きっともう大丈夫だなぁ』と感じるところまで来ていました。

昨日のレッスンでは、「落ち着いて楽譜を見ればいいんだということが分かったんです」と語り始め、「大学のクラス分けのための英語の試験でも、落ち着いて読んだら今までとは違って何を聞かれているのかがはっきりわかった」とのこと。そして、高校の部活(バレー部)を訪ねて現役生を相手に試合をしたら、「身体はなまっていてあまり動かなかったけれど、落ち着いて今目の前のことを見ていると、相手の動きがとても良く分かって、ちゃんとスパイクも決まるし点が取れた」とのこと。「そういうことだったのか!」ととても大切なことを今つかんだようでした。「現役時代はただただ夢中でなんとかしなくちゃ、と焦っていたけれど、落ち着けば見えるんだ」と。

それが、私の言うところの「対話する」ということだよ、と話しました。目の前のことやものが語っていることに先入観なくただ耳を傾け目を向けるだけ。英文の読み取りにしろ数学にしろ、あるいはバレーボールでも、そしてピアノでは楽譜を読むということはそういうことですから。

私は常々、何でもいいから夢中になるものがあればいい、と話しています。それは、何を突き詰めても同じ地下水に行き当たるからなのですが、彼がその良い例ではないでしょうか?ピアノでも勉強でも、そしてスポーツでも、見事に同時に同じことをつかんだのです。

『焦っていた時には今目の前のことが見えていなかった……』これって裏を返すと、目の前にやるべき事があるのに、先のことにばかり目がいってしまうということですね。何をしても空回りし、焦りだけが増し、そして上手くいかない原因は周りの人や環境にあると考えがち。こういう思考に陥ると、環境を変えることでなんとかしようとしがちですが、真の問題はそこにありませんから、何でも人のせいにする言い訳の人生になりやすい傾向があるように見受けられます。(だからこそ、周りにいる大人は、子供たちが安心して目の前のことに取り組めるような環境と心境を作ってあげることが大切なのだと思います)

ここに来て、最後のレッスンでこんな大発見を自らして卒業を迎えた生徒さん!とても頼もしいです。

これからの人生、まだまだいろいろなことが起きるとは思います。それが人生だから。でも、今つかんだ大切なことを忘れずに丁寧に目の前のことに向き合っていけばきっと大丈夫。身体を大切に楽しく毎日を送ってね!と話し見送りました。